新潟時代からの知人より doisatomi.com にメールをいただきました。
久しぶりの元気そうな文面に喜んだのですが、
新潟県中越地震での大変な経験も一緒に綴られていました。
ニュースなどでは感じられない生々しさが伝わってくる文面です。
地震発生時の恐ろしい状況を初めて知った気がしました。
皆さんにもこれをお伝えしたく、ご本人の了解を得てご紹介します。
当日は長岡市にいたのでとっても怖い思いをしました。
長岡市の西側、宮本町というところ(柏崎へ向かう途中の8号線沿い)に友人のログハウスがあって、そこでこの冬のための薪の整理をしていたところにグラっときました。一瞬何が起きたのか分からず、立っていられなかったので四つんばいになり、呆然としていると周りの家の電気があっという間に消えてあたりは真っ暗。
急いで車に乗り込み走らせたのですが、途中でもちろん余震が発生し、小さい側溝にかかる橋には段差ができてしまい、それとは知らずに突っ込んだ車がパンクし立ち往生していました。後の報道で聞いたのですが、ほんの数分前に通過したトンネルは出口付近で土砂崩れのため閉鎖。
九死に一生を得た思いです。
4回目の余震の時は、映画みたいに道路が波打ってこっちに向かってきたのがはっきり分かりました。その夜は友人宅(本宅)には泊れず、近くの公園で泊りました。
次の日の日曜に山へ行く予定だったので、行動食・テント・水・ガスコンロ・コッヘル・電気等を持っていたのが幸いでした。(悪運が強かったのですかね)
何故かその晩は満天の星空!
何か気象の変化があったのでしょうか。現在高速道路は、片側一車線で通行可能になりましたが、とりあえずの補修なので普通に走ると車がバウンドしてしまい、50キロも出せません。(長岡-柏崎間と長岡-小出間)
とにかく自宅のことが心配だったので、日曜日に寸断された道路を何とか新潟まで約4時間かかってたどり着くことができました。
新潟は嘘のように平穏で、自宅近くのやすらぎ堤では天気が良かったせいもあり子供が凧揚げしてました。年末の帰省時には新幹線は間に合わないんだろうなぁ・・
新潟県中越地方の皆さんの一日も早い生活の回復を改めてお祈りします。