声は大事!ブログ

「発信者責任文化」へ頭を切り替える

先日、川崎市社会福祉大会で式典のお手伝いをしました。
講演は京都外国語大学教授のジェフバーグランド氏で、「きらっと生きる~自分探しの旅」というテーマで、自分にとっての「普通」は他の人のそれと必ずしも合致しないことを、おもしろおかしく美しい関西弁!で教えてくれました。
他者の普通を観察し、その価値観を借りて、統合していくと新しい自分に出会えるという考え方は、凝り固まった頭を柔らかくほぐしてくれるようでした。

ところで、講演の本題から少しずれるかもしれないのですが、ジェフ先生が使った「発信者責任文化」「受信者責任文化」という言葉が、私には強く印象に残ってあれこれ考えました。
欧米は発信者責任文化で、日本は受信者責任文化です。
日本人は「相手の言いたいことを推し量って行動する」傾向がありますね。行間を読む、文脈を読む、といった感じでしょうか。
むしろ「全て口に出してしまうとはしたない」と取られかねません。
日本人は、相手の少しの発信からいろいろ読み取るクセがついているので、「おもてなし」の土壌が育ったのかもしれないとも思います。
もう何十年も前ですが、役員との打ち合わせから戻った人が「結局、役員はなにが言いたかったんだろう。どうすればいいんだろう」と首をかしげていたのを思い出しました。
若気の至りでその機微がわからず「わからなければその場で聴いた方がいいんじゃないだろうか」とかなり無邪気に思っていましたが、今思えばこれこそ日本文化そのものでしたね。

日本でも社会に出た途端、「発信者責任文化」の便利さに気づきます。
お客様に曖昧な表現をしては困らせますし、クレーム処理も対象を明確に(限定)して謝罪をしなければ更なる問題を呼びます。
また、部下への指示は明確に誤解のない方が仕事はすんなりいきます。
もしかしたら、英語を公用語にしている会社は自然に発信者責任文化に傾いて、効率が上がっているかもしれませんね。
仕事を英語でしている皆さん、いかがですか?
プレゼンなど人前で話すときには必ず10を伝えるために10を言い、誤解を招かないように表現する責任が発生します。
放送では、「誤解を招かない表現、ひとつの意味にしかとれない表現」を心掛けます。
これはビジネスの世界でも有用だと思うので、ホテル学校でもビジネスパーソン研修でも、お勧めしています。
しかし、年が若い人ほど「発信者責任文化」の経験値が低いので、なかなかなじまないのが現実です。
まずは、「受信者責任文化」→「発信者責任文化」へ頭を切り替えることが必要なのだと、思いました。

※この秋は青空が貴重ですね。週末の台風がおとなしく過ぎ去ってくれますように。

20171027